鳥居みゆき「夜にはずっと深い夜を」

(微妙に注とか追記:11月24日)
鳥居みゆき「夜にはずっと深い夜を」

非常に書き辛い本ではあり、これは私の自意識に過ぎないのかもしれないのだし些か偉そうないい方になってしまうけれど、つまりは私の作品のある種の部分を拡大して作品化された感じがしたから、という理由もあり*1、尤も違うといえば違うのだけれども、これを読了した私は若干テンションが下がったという(寝たら忘れたのだけれど)。
ある種の言語的な技法(とゆうかお笑いの発想法−「目的と手段の転倒」(或るマッチ売りの少女)「常套句の実体化」(妄想日記3)「オノマトペの使用対象を拡張する」(妄想日記4)*2)が随所に使われているのだけれども、強迫観念や虐待、自殺、死のイメージが最終的に作品をまとめてしまっていて、そこがやや恣意的な感じがしてしまう。提示された規定のフレームからメタレベルに移行する技法(「オチの出し方」とここでは言い換えてもいい)が「死」を中心として織り成されてしまい(「いちゃつき心中」等がそうであり、ここではフレームとしてモノローグでありながら他者による反応に応答しているように見せる、という方法がとられている*3)、そこが残念であるという観はぬぐえない。小説全体の構成において登場人物達に関係性を持たせるあり方もそのきらいがあり、つまりはお笑いの技法とそうした構成、及びオブセッション的なイメージが若干乖離しているように感じてしまったのだ。これはコントでは出せないような部分を出していこうと考えたのかも知れないので一概に否定はできないのですが、とりあえずそういう感想を持ちました。
この本のなかでは「華子の花言葉」が一番完成度が高いように思われる。
ここでは「花言葉」がどんどんずれていき、「ネクタイ言葉」、「言葉言葉」や「殺人言葉」にいたる発想の流れが死や強迫観念と構造的に合致している。
しかし私は、鳥居みゆきという人はやはり芸人としてとてもすごいと思っている。
以下のナイナイとのフリートークにはかなり衝撃を受けたのだった。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm3665239


*1 これは勿論鳥居みゆきが私の作品を見たのではないかとかそういう意味ではない。
*2 こうした思考は当然「お笑いの発想法」というだけではないけどここでは省略するよ。
*3 たとえばモノローグだと現実の他者に応答しているのか、妄想の他者に応答しているのかそれだけだと決定不能である。その不確定な感じをオチでメタレベルに移行させて安定させる、というのは少し違うかなと思った。