カフカ「最初の苦悩」、そしてカフカの「家父の気がかり」について。

どうも。前回の「風博士」の朗読が意外と受けがよかったので(ありがとうございます)、懲りずに、またYoutubeカフカの「最初の苦悩」の朗読をあっぷしました。試しに聞いてくださいませ。

 読んだのはカフカの短編小説『最初の苦悩』です。とあるサーカスの曲芸師(ブランコ乗り)は、基本的にはいつもサーカスのロープの上(というかブランコ)から降りない-たとえそれがサーカスの最中であろうとも。
 そんな彼に訪れた、「最初の苦悩」について。関係無いが、興行主が意外と優しいのが妙に印象的である。

 ところで、カフカといえば私にとっては「家父の気がかり」で出てくる「オドラデク」なんですよね。
 あれはジュディス・バトラーも『自分自身を説明すること――倫理的暴力の批判』佐藤嘉幸・清水知子訳(月曜社、2008年)言っているように、「有機体」と「物」のあいだの何かで、無関係な家族の家に何故かずっと居て、存在し続ける。
 バトラーがここまで書いているかは忘れましたが、私の解釈だと、その家の家長は、自分が死んだ後も、「オドラデク」は、何も関係なくそこに生存(といっていのかすらわかないが、ともあれ)存在し続ける事を知っている。それを家長-父は、「それ」を妙に哀れんでいるような、しかし何か気がかり・心配の対象として感じている。
 まあベタに言うと、父系的な、かつ生殖規範的な「家庭=家族」に意味も無く存在し続けてしまう奇妙な「有機体=無機物」が、そうした家父長的なものをどこか根底から脅かす事を無意識に察知しているのだ、と言えないこともない。しかも声高ではなく、ただ「いる」というだけで。
 でも、本当はそうした解釈より-いや、カフカの「父」に対するコンプレックスを考えると私はそれをそれなりに正当だとも考えているのだけど-「オドラデグ」という不可思議な存在を描き出す描写の素晴らしさ、その奇妙なリアリティ、そして父の視点で語られる叙述に、カフカのとんでもなさ、作品の異様な突き抜けがあるな、と思ってますわん。

 それで最初の話に戻ると、朗読した『最初の苦悩』のテキストは、下記「青空文庫」さんのページからです。
底本:「世界文学大系58 カフカ筑摩書房 1960(昭和35)年4月10日発行
入力:kompass
校正:青空文庫
2010年11月28日作成

フランツ・カフカ Franz Kafka 原田義人訳 最初の苦悩 ERSTES LEID