今週のお題「理想のすみか」

どうしてなのかは知らない――がその建物を最初にちらと見たとたんに、堪えがたい憂愁の情が心にしみわたった。堪えがたい、と私は言う。なぜならその感情は、荒涼とした、あるいはもの凄い自然のもっとも峻厳な姿にたいするときでさえも常に感ずる、あの詩的な、なかば心地よい情趣によって、少しもやわらげられなかったからである。私は眼の前の風景を眺めた。――ただの家と、その邸内の単純な景色を――荒れはてた壁を――眼のような、ぽかっと開いた窓を――少しばかり生い繁った菅草を――四、五本の枯れた樹々の白い幹を――眺めた。阿片耽溺者の酔いざめ心地――日常生活への痛ましい推移――夢幻の帳のいまわしい落下――といったもののほかにはどんな現世の感覚にもたとえることのできないような、魂のまったくの沈鬱を感じながら。心は氷のように冷たく、うち沈み、いたみ、――どんなに想像力を刺激しても、壮美なものとはなしえない救いがたいもの淋しい思いでいっぱいだった。なんだろう、――私は立ち止って考えた。そうだ、この家は森の中で時々出くわす動物の死骸のようだ――横たわって、まだ腐敗は始まっていないものの、その呼吸はとっくに止まっていることは分かる、そんな死骸。育ちのよい婦人か、柔和な神父なら、この家を見た途端、咄嗟に十字を切るのではないだろうか?私はその様子を心に思い描き、思わず微笑んでしまった。
 家の前には、藻に覆われた、大きな沼があった。沼の表面は、この家を曖昧な形に反射している。湿った風がそよぐと、わずかに水面が揺れて、その度に表面に描かれた家を水平に亀裂が走り、崩壊させていく。沼には、見るからに黴の臭いを感じとることができる、木の死骸の一部――枯れた枝が浮いていた。そしてこの家そのものもまた、黴のように、目につくあらゆる箇所から微細な死が繁殖して、あたりにその匂いを発散させていたのだった。私は横にいる不動産屋に、こう言った。
「この家を買うことにしました」と。