ドストエフスキー「鰐」

ドストエフスキーが1845年に書いた「鰐」という小説がある。
見物に行った鰐に呑みこまれ、にも関わらず何故か死なずに外の人間に語りかける男。語り手である役所勤めの同僚が彼の助けになるべく奔走するが、鰐に呑み込まれた当人は異常にハイになっていて、「全人類の一大天国」をここから世界に語りかけるんだ、みたいなことを喋り続けるというもの。
語り手と、呑みこまれた男の上司や妻との途轍もなく饒舌で「俗っぽい」(であるがゆえに不条理な)会話など非常に興味深いものがあるけれども、ここではとりあえず鰐に呑みこまれた直後の描写を引用したい。

ほかでもない、鰐が、おそらく呑みこんだ物体の巨大さに咽せたのだろうが、力み返って、その恐ろしい口をいっぱいに開け、その仲から、最後のおくびといった形で、だしぬけに、必死の形相を顔にうかべたイワン・マトヴェーイチの頭が一瞬の間とびだし、しかもその際、眼鏡がたちまち鼻からはずれて箱の底にころがったのである。必死の形相をしたこの頭がとびだしてきたのは、もっぱら、あらゆる物にもう一度最後の視線を投げて、現世のすべての喜びに心の中で別れを告げるために他ならないように思われた。だが、その意図は果たせなかった。鰐が再び力をふるい起こして、呑みこんでしまったからだ―一瞬にして頭は、今度はもはや永遠に消え去った。まだ生きている人間の頭の出現と消失は、まことに恐ろしかったが、同時に、その素早さと意外さのためか、それとも鼻から眼鏡がころげ落ちたためか、そこには何かきわめて滑稽なものがあったので、小生は突然、まったく思いがけずに、ふきだしてしまったほどだった。(ドストエフスキー「鰐」沼野充義編、講談社学芸文庫、244〜245p)

呑みこまれた後にもう一回顔だけ出てくる、という描写のアイディアに、(当然の事なのだが)ドストエフスキーの才を感じてしまう。