歯ぎしり部長

部長は歯ぎしりが得意だった。歯ぎしりでどんな音階も自在に出せると言うファ。440Hzの「ラ」の音がほしいな、とヴァイオリニスト兼事務職員の金田は言った。苦もなく部長は「よっしゃ、まかせとけ」と正確にラの音を出したと言う(もっともそのときは歯ぎしりではなく声だったらしいが)。
「部長の歯ぎしりを聞いてると仕事がはかどるなあ」と上の者にはぺこぺこする例の係長は独り言のようにつぶやいた(ただし、部長の耳に入るくらいの大きさで)。
「ほんとよねえ、こないだ部長が欠勤したとき、部長の歯ぎしりが聞こえないとなんだか寂しいなってみんないってたもの」部長夫人の座を目指すシカ子がすかさず相槌を打つ。
「いやいや、シカ子君のあくびだって常に倍音豊かで正確なドの音をだすじゃないか」
「一オクターブ上のソの音まで聞こえるんだから、たいしたもんだよ」
「そんな、係長だって対位法で会話するじゃない」
またこの職場のおべんちゃら合戦がはじまった。絶対音感のない僕はいじめられていたのでいやな予感がした。一人を標的にして他の者が団結力を強める、人類がいかに下等かを示すあの呪われた共同性。