『現代思想 特集:反出生主義を考える』、古怒田望人「トランスジェンダーの未来=ユートピア  生殖規範そして「未来」の否定に抗して」

 現代思想』11月号の「反出生主義を考える」。古怒田望人さんの「トランスジェンダーの未来=ユートピア」、素晴らしかった。新しい関係性の観点からトランスの可能性(未来)を描きなおす試み。冒頭では「女性=出産」、あるいは「父=男性」「母=女性」というジェンダー規範に対する批判、また性同一性障害特例法が何を排除しているのか、という問題が論じられる。

  「子ども」を巡って(いわば近代国家的な子ども像を巡って)エーデルマンを批判的に参照しつつ、実際のトランス男性やFTXの方の「生殖」を新たな生殖のあり方(「未完了」であるような未来のあり方)として呈示している。

  「現在」にのみ根ざしたエーデルマン的なクィア像ではなく、ムニョス、そしてレヴィナスブロッホ読解を通して歴史に抗する「未来」としてのクィア像。

   個人的な話だが、私は大分前にフーコーの「同性愛と生存の美学」という後期のインタビュー集を読んだ際に、そこで語られている「新たな関係性」に深く共感して励まされたのだけど、あくまでその時フーコーは「同性愛」の可能性としてそれを論じていたことにちょっと不足を感じていた。*1

  「ゲイのステレオタイプ」に対する(いわば別の制度に絡めとられてしまうことへの)批判、それとは逸脱した「斜めの関係性」など、同性愛以外においても問題として普遍化できるとも思っていたのだけど。

 この論文ではトランスの問題を通して、そうした普遍化がなされている。従来語られていなかった文脈から、生殖の問題系やクイアセオリーの知見を加えつつ「自己と疎遠な人間主体」を新たに描き直すことによって、「別の関係性」に対する理念、まさに未来が語られていると言えるだろう。
 
 良い意味で「反出生主義」(特にベネター的な反出生主義)からは見えなくなってしまう視点からの論考なので、読者的には特集の文脈にフレーミングされてしまうかもしれないけど、そこを越えて生殖、ジェンダー論に関心のある方にはご一読を薦めたい。

 また、この論文では前述のFtXの方との「出会い」からその生き方への記述、論旨への組み込みがあるのだけれど、(私は論文の作法にはあまり詳しくないのだが)アカデミックな資料や論文の参照に留まらず、実際に生きた「出会い」から考え、語りなおすという所作に、著者の生もまた組み込まれた思考の躍動があるように思う。

 

*1 古怒田さんからの応答で、フーコーは「ユートピア的身体」という議論を呈示していたことを教えて頂いた。
https://twitter.com/ilya_une_trace/status/1203505626942328832

また以下の著作も発行されている。
ユートピア的身体/ヘテロトピア」ミシェル・フーコー【著】佐藤 嘉幸【訳】水声社(2013)
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784891769802

*この記事は以下から始まる連続ツイートから加筆しました。

https://twitter.com/takayukitoshima/status/1203494064986845184